我が青春の週刊少年ジャンプ 修羅場皆無の鳥山明 極限状態の江口寿史
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我が青春の週刊少年ジャンプ 修羅場皆無の鳥山明 極限状態の江口寿史

“我が青春の週刊少年ジャンプ 修羅場皆無の鳥山明 極限状態の江口寿史”のまとめ

1: 2013/08/16 16:40:21
 年間1万点を超える単行本が刊行される漫画業界において、消え去る作品は多い。
だが、我々の青春の1ページには「週刊少年ジャンプ」を彩ったキャラクター、ストーリーがしっかりと
刻み込まれている。その“名作誕生”の裏側には作り手側の青春群像があった!

 68年に創刊した「週刊少年ジャンプ」は、先行していた他社の少年漫画誌を破竹の勢いで凌駕していく。
そして、94年12月には発行部数653万部を記録。世界一としてギネスブックにも登録された。

 そのジャンプ躍進の牽引役となった漫画家の一人としてあげられるのが鳥山明だろう。
今年7月、創刊45周年を記念して13年ぶりに新連載「銀河パトロール ジャコ」をスタートさせたことも、
同誌にとって鳥山が特別な存在であることがうかがえる。
「Dr.スランプ」(80~84年連載)の則巻アラレたちのハチャメチャなペンギン村の日常に笑い、
「ドラゴンボール」(84~95年連載)の孫悟空とともに成長した我々にとっても鳥山は特別な漫画家である。

 物語と登場するキャラたちが深く記憶に刻まれるのに比して、鳥山の実像はベールに包まれている。
 当時、「Dr.スランプ」の単行本が初版発行部数記録を塗り替え、「ドラゴンボール」も全世界で約2億3000万部が読まれている。
そうした記録的数字が鳥山を神話の中の人物たらしめた。
 今回、鳥山の人柄を探るため、初代アシスタントを務めた人物に話を聞いた。漫画家、田中久志(ひすゎし)である。

「端的に言えば、鳥山さんはいい人‥‥。そのひと言で終わってしまうぐらい。アシスタントをしていても、
親戚のお兄ちゃんのところで手伝っているみたいな感じでした。『Dr.スランプ』が始まって半年もしたら
大人気になっていましたけど、本人はちっとも変わらない。2万円くらいのモデルガンを買おうか、
真剣に悩んだり、原稿が仕上がると一緒に打ち上げでボウリングに行ったり‥‥。そういえば、
そのボウリング場で、僕が運転していた車を他の車にブツけてしまったことがありました。相手は
“怖いお兄さん”なのに、鳥山さんも喫茶店で一緒に謝ってくれて、相手が話の途中で『鳥山明』だと知り、
箸袋の紙にサインを書いたら、許してくれたことがあったな(笑)」

 田中が鳥山のアシスタントになったのは「Dr.スランプ」の連載開始直後だった。
愛知で執筆活動をしていた鳥山のアシスタント募集の広告を見て、同じ愛知在住の田中が応募したのがきっかけである。

「鳥山さんもアシスタントを使うのが初めてなら、僕もアシスタントするのが初めて。お互いどこまでが
アシスタントの仕事なのかわからなくて、最初の頃は鳥山さんが背景から何からほとんど
全部描かれていて、僕は横でベタ(髪や影などを黒く塗る作業)をやっているだけでした」

 作中、鳥山はこの逸話を「ひすゎしは絵がうまいから、描かせない」というギャグにしている。

 実際には、その後は背景を田中が描いていたという。しかも、「いい人」という鳥山の人柄が
示すように穏やかな仕事場だった。アシスタントは1人だけなのに、田中が拘束された時間は
1週間のうちたったの24時間。食事や風呂の時間まで約束されていたという。
週刊連載の修羅場などは皆無だった。そんな仕事場以上に異色だったのは、鳥山の制作方法だった。

「通常、ネームというコマ割りや構成、セリフを入れたラフを描いて、編集者がOKを出してから原稿用紙に
描いていくんですが、鳥山さんは『何度も描くのが面倒だから』と、いきなり原稿用紙に描き始める。
もちろん編集者にボツを食らうこともあるんですが、そうすると全部描き直すんですよ。
そのほうが面倒だと思うんですけど(笑)」

 のちにジャンプでデビューした田中は、鳥山の制作方法を踏襲した。ところが、担当編集者に
「ネームを描け!」と一喝されたという。
 鳥山がいかに非凡であったかがわかる。

 鳥山の異色さは、その制作方法だけではない。描き上げた当時の作品を見てもわかる。
当時の漫画家なら常識的に使用していたスクリーントーン(切り貼りして使う点描などの画材)を
ほとんど使っていないのだ。田中が続ける。

「トーンを使わない理由も『面倒だから』というものでした。切り貼りするのがというのではなくて、
鳥山さんは『買いに行くのが面倒』と言っていましたね」

>>2につづく)
http://www.asagei.com/14983
http://www.asagei.com/14984
http://www.asagei.com/15006

2: 2013/08/16 16:41:43
 常識にとらわれないのは、ジャンプ編集部も同様である。人気漫画家の作品に頼る他誌を尻目に、
ほぼ素人同然のままで、規格外の新人をデビューさせたのだから。そして、鳥山の“画力”は大きな衝撃を与えた。

「鳥山さんの絵を最初に見た時は、あまりのうまさと斬新さに本当に驚きました。
絵の“ルーツ”が見えてこないんです。70年代の劇画ブームなど、流行した画風というのに
影響を少なからず受けるはずなのに、それが感じられない。鳥山さんは
『少年時代以降は漫画をそれほど読んでいなかった』と言っていました。本人にとっては、
少年時代に自分が読んでいた漫画のイメージを独自の感覚で描いてみせただけなのかもしれませんが、
鳥山さんの才能は、他の漫画家に脅威に映ったのではないでしょうか」

 当時、ジャンプ連載陣の一人であった漫画家、江口寿史はこう話す。

「鳥山さんが出現した時は素直に『うまいな』と思いましたね。ただ、僕が最も驚いたのは、増刊に
掲載された鳥山さんの『ESCAPE』という5ページぐらいのカラー漫画でした。
すごい迫力がある絵だったんですけど、本人が『資料は何一つ見ずに、3日間で描き上げた』
と言っていた。これは違う人種が現れたと思いました」

 かく言う江口も常識外れのデビューを飾った「天才」漫画家である。

 江口が本格的に漫画家を目指したのは20歳の時だった。ちばてつやのファンであった江口は
もっぱら「少年マガジン」の愛読者だったが、70年代中盤から次々と新人をデビューさせたジャンプに熱気を感じ、
ジャンプに狙いを定める。
 2本の原稿を描き上げ、77年に「恐るべき子どもたち」でヤングジャンプ賞を受賞し、「8時半の決闘」で赤塚賞準入選を果たす。
 ところが、この入選以前に江口のもとには、ジャンプ編集部から読み切り執筆の依頼が舞い込んでいた。

「今から考えると、めちゃくちゃな話ですよね。海のものとも山のものともわからない新人に
原稿依頼してくるんですから。当時は漫画の描き方を学ぶなんてことはできなかったから、
まったく技術も何もない状態でした。連載が始まってから、アシスタントにいろいろ教わって、
『トーンって削れるんだ?』と聞いてしまったぐらいです」

 江口の応募作を目にして、原稿の依頼をしたのはジャンプ編集部の中野和雄だった。
「キン肉マン」(79年~87年連載)に出てくる「アデランスの中野さん」のモデルと言われる名物編集者の一人である。

「中野さんは僕を『月刊少年ジャンプ』で連載させようと思っていたらしいんです。でも、
『江口は週刊でやらせる』と決められて、担当を外れることになっちゃって。新人を取られて
茫然としていた中野さんに、当時の編集長が『和雄ちゃん、ゴミの中に宝があるもんだよ』って
声をかけた。それで、ボツになった原稿をあさり始めて、その中から、ゆでちゃん(ゆでたまご)を見つけたんだそうです」

 編集者同士が競い合うように原石を求め、その原石を読者の前にさらすことで磨き上げる。
まさにジャンプが飛躍する原動力は、そこにあったのだ。
 漫画ファンならば、数奇な運命を感じざるをえないのではないか。
 江口が「月刊少年ジャンプ」で連載をしていたら、「キン肉マン」は誕生しなかったかもしれない。
そして、何より我々がより多くの江口作品を享受できたかもしれない。

>>3につづく)

3: 2013/08/16 16:42:15
 江口は「すすめ!!パイレーツ」(77~80年連載)で、弱小球団の千葉パイレーツを舞台にした
ギャグ漫画で才能を開花させる。その後、81年から連載が始まった「ストップ!!ひばりくん!」では、
世間で認知され始めたばかりのニューハーフを主人公に据えて、読者をアッと驚かせた。
 一方で、遅筆であることを「白いワニ」と自身を作中に登場させて自虐ギャグにしていたのだ。
 江口はこう振り返る。

「パイレーツの連載開始直後から1年半ぐらい、編集部に住んでいたんですよ。当時、編集部の一角に
執筆室っていう小さな部屋があって、本来は原稿の遅い作家が来て、仕上げ作業をする部屋だったんだけど、
だんだんそこに住み着く人が出てきた。本格的に住み始めたのはコンタロウさんだったらしい。
編集部から大学に通って、卒業したという逸話があるくらいですから。僕も最初は千葉の実家で
描いていたけど、すぐに集英社までの片道2時間半が惜しくなって、住み着いてしまった。
先輩から鍋やら布団やら日常必需品をもらって(笑)。原稿が上がった日だけ、編集部がホテルを取ってくれるから、
その日は風呂には入れるんだけど、あとは風呂にも入らずずっと編集部で原稿を描いていました」

 遅筆の最大の理由は作画にあったという。

「ストーリーを練ったり、ギャグを考えたり、ネームを切ることは苦ではなかった。実際に、『ひばりくん』の
第1話は喫茶店でサラッと30分ぐらいでネームを作って、編集者にOKをもらいましたからね」

 しかし、江口は連載を続ける中で、絵に対する意識がますます高くなっていった。それは、
「ひばりくん」を読んでいた我々も気づいていた。登場人物の耕作くん同様に、男にときめいてしまう
背徳感を感じていたはずだ。ギャグ漫画であることを忘れるほど、江口の描くひばりくんのイラストは
魅力的で、繊細なタッチで描かれていたのだ。それに加え、江口の原稿へのこだわりも強かった。

「初めてプロの原稿を見た時に、『汚い!』と思っちゃったんですよ。(原稿の描き損じを修正する)ホワイトだらけだったり、
下書きの(印刷上は出ない)青い線が入ったままだったりするでしょう。それがイヤで、
ホワイトを使わなかった。今考えるとバカだなと思うけど‥‥」

 結果、「ひばりくん」は「週刊少年ジャンプ」誌上では未完のまま唐突に終了した。

「ずっと『隔週でやらせてくれ』とかわがままを言っていました。今だったら、作家の要望として
認められるかもしれないけど、当時はそんなの考えられなかったですからね。
それで、最後のコマに『少年漫画は死んだッ‥‥』と描いた原稿を渡してそのまま姿をくらませちゃったんです。
でも、本当に“逃げた”のはこの1回だけで、しかも1日だけです。都内のホテルに潜伏して、
全てが終わったのを確認して出ていった。当時の編集長から呼び出されて
『もう週刊では面倒見切れないから、好きにしろ』と‥‥。完全に僕が悪いんです」

 端から見れば、極限状態での連載にしか見えない。だが、江口にとっては全てが楽しい思い出だという。

「大変だったけど、つらくはなかった。やることなすこと全部が新鮮だったから。編集部に住んでいたので、
部外秘の読者アンケートを集計中にこっそりのぞいたりしてね。他の連載している作家に対して、
口には出さないけど、ライバル心を燃やしながら、どうしたら読者のドギモを抜けるのか、
そして順位を上げられるのか、編集者と一緒にそればかり考える日々は、漫画家としては楽しいものでしたね」

 ジャンプのテーマである「努力・友情・勝利」はまさに制作現場でも貫かれていたのである。

(了)

5: 2013/08/16 17:10:35 ID:bpXR6UX1
ジャンプの編集は読みきりを練り込まずに適当な状態でぶっぱなしすぎだと思ってたけど柳の下のどじょう狙いだったのね
7: 2013/08/16 17:53:43 ID:RvqMhSoa
escape

画像削除済み

8: 2013/08/16 17:54:29 ID:8FUbvANc
いい時代だな
9: 2013/08/16 18:25:40 ID:m4sLZFvc
ジャンプ黄金期か
11: 2013/08/16 18:52:49 ID:Bi1LAOBn
今はもう作家を磨く気なんて全くないよな

『売れるマンガ』をつくることが至上命題だから、売れてさえいれば
絵が手抜きでもネームがクソでもお構いなしに連載させる
むしろ丁寧な絵・まとまったネームに変化させて『万が一売れなくなったら困る』とでも考えてそうだ

結果、作家の成長は人気が出た時点で頭打ちになり、でもプライドと自信だけは強くなっていくから
「俺はこのままで良いんだ」って勘違いしたままクソみたいな連載が惰性で続いてしまう

12: 2013/08/16 18:58:41 ID:m2wUhHQH
>>2
鳥山明の絵のルーツは漫画ではなく、イラストの方じゃないかと。
アメリカのポップアートとかに影響受けてるんじゃないかな?
あと映画は相当数見てるように感じます
15: 2013/08/16 19:29:25 ID:EZqtebM3
>>12
そもそも絵の前に模型の腕がプロ級だとか
ブルースリーが好きでアクションは全て頭に入っているから
3Dポリゴンを脳内でぐるぐる動かしてどの角度も描ける
…と言う事らしい
17: 2013/08/16 19:33:09 ID:m2wUhHQH
>>15
>ブルースリーが好きでアクションは全て頭に入っているから
 3Dポリゴンを脳内でぐるぐる動かしてどの角度も描ける

なるほど!
何であんなにアクションシーン書くの上手いのかやっと分かりました。

13: 2013/08/16 19:01:42 ID:6ti6jgss
ルーツがわからない、というのに納得
18: 2013/08/16 19:37:34 ID:H5HDNgDu
ジャコと他の連載の作画にレベル差ありすぎて、逆に鳥山が浮いてるように思える
19: 2013/08/16 20:58:22 ID:l0G+JowT
鳥山の絵が立体を意識してるのはよく言われるが、凄いのはそれを少ない線で表現してること
天才のデザインセンスとしか言いようがない
21: 2013/08/16 21:45:55 ID:gfgp7ZP5
ネーム書くのが嫌だから一発書きをしたり
トーンが嫌だったり
めんどくさがりが高じて独自の画風を作り上げたんだから
笑うしかないな。
22: 2013/08/16 22:01:23 ID:O4ti7WI6
デザイナー出身の漫画家ってトーン嫌う印象がある
青木雄二も印刷所経営しながらデザイナーやってたし
26: 2013/08/16 23:07:03 ID:JCn11xp/
>トーンを使わない理由も『面倒だから』というものでした。切り貼りするのがというのではなくて、
>鳥山さんは『買いに行くのが面倒』と言っていました

面倒と言っていたのは知っていたが、買いに行くのが面倒だったとは知らなかったwww

27: 2013/08/16 23:38:30 ID:UbQIkvgR
>>26
考えてみれば田舎だから、けっこう大変だったのかもしれん
29: 2013/08/17 00:11:33 ID:E/TZf8OS
鳥山明はコンパスで書くような丸を
フリーハンドで書けるってテレビで見たわ
31: 2013/08/17 02:50:44 ID:7LHhbhjg
すげえなwww
33: 2013/08/17 04:09:19 ID:iBVVD9Hw
鳥山明の絵って誰のパクリでも無いし誰にもパクられないな

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